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Category: ゴルフモード・カルチャー

『きょうは会社休みます』、新しい恋愛ドラマの風。

2014年12月15日 category:ゴルフモード・カルチャー

ゴルフモードカルチャー2

「恋愛ドラマ」は、オワコン。そういわれて久しい。

 

『東京ラブストーリー』(フジテレビ)(1991年・平均視聴率22.9%)、

『ビューティフルライフ』(TBS)(2000年・平均視聴率32.3%)

など、数字も話題性もテレビコンテンツの中心であり続けた時代は、いまや昔。

 

 

 

いつの間にか、恋愛ドラマは、視聴率がとれないジャンルになっている。

 

月9の愛称で親しまれているフジテレビ月曜日9時からのドラマ枠は、恋愛ドラマを多く制作してきたが、最近はこの伝統的な恋愛ドラマ枠でも恋愛ドラマ離れが続く。

 

視聴率の数字が確定した2014年の7-9月期のラインナップで、恋愛ドラマと呼べるものは、 『同窓生』(TBS)くらい。

 

その『同窓生』も平均視聴率8.22%で下位に沈んだ。

恋愛ドラマの不振の理由は、さまざまな角度で分析されている。

 

例えば、

(1)携帯電話が普及し、恋愛ドラマの醍醐味のひとつの「すれ違い」がつくりにくくなった。

 

(2)恋愛の敷居が下がり、恋愛間の障壁と呼べるものがなくなった。

 

などだ。

 

確かにそれなりに説得力のある説だが、筆者はその分析に疑問があった。

 

(1)は、『君の名は』(1953年・松竹)がつくりあげた世界だし、

 

(2)に至っては、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』まで遡るフレームだ。

 

(1)と(2)の要素が無くなったからといって、恋愛ドラマがつくりにくくなったわけではないのではないか。

 

いずれもその時代から生み出された、恋愛物語の要素。現代には、現代にマッチした恋愛ドラマの形があるのではないか。筆者は、単純にそう思っていた。

 

そんな中、日本テレビ系で放映され、12月17日に最終回を迎えた『きょうは会社休みます』(綾瀬はるか主演)は、その現代にマッチした恋愛ドラマだった。

恋愛経験の乏しい30歳になったばかりの主人公、青石花笑(はなえ)(綾瀬はるか)とイケメン大学生、田之倉悠斗(福士蒼汰)のさわやかで、ぎごちない恋愛物語。

 

このドラマでは、新しい恋愛ドラマの形を提案している。

 

それは、

ひとの恋愛を「応援」「分析」「アドバイス」したくなる視点を重視した構成である。

 

これまで、恋愛ドラマの定番の描き方は、疑似体験による「共感」だった。恋愛物とはそういうものとさえ定義していた人もあったほどの強く固定化された視点だった。

 

主人公の女性の目線をメインターゲットとなる女性視聴者が追い、恋人役となる男性は、理想の男性像に限りなく近づける。

ドラマを見ることで、恋愛感情を喚起させることが、視聴者の多くを惹きつけるという手法だ。

 

この強力な方向性に対して、このドラマで描かれる恋愛物語は、定番と一線を画した展開で、新しい試みといえる。

 

主人公、花笑は、女性視聴者が自分を投影するには躊躇のある地味な女性として描かれる。そこに傍観者としての視点が形成される。

俯瞰的に見る視点は、より花笑の恋愛であることを強化させ、共感の余地を与えない。

 

その心の動きは、冷静さを生み、上記のような「応援」「分析」「アドバイス」したくなる視点を生み出すことに成功している。

 

この脱共感路線ともいえる展開は、恋愛物語に新しい方向性を求めていた視聴者の心をしっかりつかんだ。

 

また、このような視点は、私のような男性視聴者にも納得できる要素を多く持たせる副産物も生んでいる。

 

テレビコンテンツとしての数字は、正直だ。

 

10-12月期クールのドラマで圧勝した『ドクターX』(テレビ朝日)に次ぐ2位を確保(2クールを跨ぐ『相棒』(テレビ朝日)を除く)。

 

『今日は会社休みます』は、最近の恋愛ドラマというコンテンツとしては、数字的に大健闘。

 

しかも真裏には、話題性抜群だった沢尻エリカ主演の『ファーストクラス』(フジテレビ)という強力なライバルの存在があったことを考えると平均視聴率16.0%は、立派な数字といえる。

 

また、この脱共感の恋愛ドラマは、マーケットの変化にもうまく対応した構成でもあった。

 

これまで恋愛ドラマの主なお客さんであったF1層(20歳から34歳までの女性)の絶対数が減っている。今の日本の人口比率で最も若いボリュームゾーンは40歳台。若い世代だけでなく、広い視聴者想定が、さらに視聴の幅を広げたといえる。

 

もちろん、恋愛ドラマの王道である「共感」に物足りなさを覚える視聴者もあったのは事実だが、コンテンツとして恋愛ドラマに新しい風を吹き込んだことはまちがないない。

 

テレビドラマは、正直に今の日本のおかれた状況を反映するものだ。旧来型の思考でドラマを制作しても、今の視聴者に受け入れられる作品は生まれにくいのではないか。

 

この『きょうは会社休みます」は、そう痛感させられた作品だったといえる。

売れない本。ピーク時の6割の衝撃

2014年12月15日 category:ゴルフモード・カルチャー

ゴルフモードカルチャー2

本が売れない。

 


 / hageatama

 

このことを知らない人はいないほどの常識になった。特に雑誌が売れない。男性誌も女性誌も、オピニオン雑誌も売れていない。

 

出版科学研究所の調べでは、1996年のピーク時、約2兆6000億円あった売り上げが、2014年で約1兆6000億円まで減少。ピーク時の約6割。1兆円の市場が消えた。国内のゲーム市場が約5000億円とされており、その倍の市場が消えたのだ。

 

しかし、人々が本や雑誌を読まなくなったのかといえば、必ずしもそうではないようだ。

 

それを裏付けるのが、全国の図書館の貸し出し冊数。2012年では、平均5.4冊(文科省調べ)で、年々増加傾向にある。

 

また、新聞の購読数も減っている。日本で一番の購読者数を誇る讀賣新聞は、朝刊で100万部を割っているとされる。福岡県北九州市の人がすべて同紙を読んでいる程度の数字である。

 

新聞をとるのをやめたという人から話を聞く機会があった。やめた理由は、新聞で扱う情報はネットやテレビで十分だからという。

 

本も同様の流れだと推察できる。図書館で借りて読めば十分ということだろう。

 


Harry Potter and the Deathly Hallows Launch Event / Dick Thomas Johnson

 

この流れはどのように理解すべきなのだろうか?

 

それは、情報にお金をかけることへの抵抗ではないか。言い換えると、情報はタダで得られるものであると人々が考え始めているのではないかということだ。

 

情報は、形のあるものではない。装丁がいいという本もあるが、やはり本は中身である。人々は、情報系の価値に対してよりシビアになっているといえるだろう。

 

その流れを動かしているのは、まちがいなくインターネットだ。インターネットは、既存のいろんなビジネスを脅かしているが、出版・新聞といった情報ビジネスの巨人の足元を揺るがす存在になっている。

 

既存のビジネスモデルや収益構造を改めないと、生き残ることは難しいだろう。KADOKAWA(かつての角川書店)は、IT企業のドワンゴと経営統合し、先を見据えた展開を始めている。

 

いかに情報にお金を落としてもらうか。智恵が求められる時代がやってきたといえる。

 

今のうちに有効な手を打たなければ、名の知れた新聞社や出版社であっても倒産することも珍しいことではないのかもしれない。

ブランド化は、上昇気流にのって。~サントリー・プレモルに見る市場のダイナミズム~

2014年08月20日 category:ゴルフモード・カルチャー

ゴルフモードカルチャー2

 

ビール事業に参入して40年余りの年月を経て黒字に転換したサントリー。その牽引役となったのは、ご存知『ザ・プレミアム・モルツ』(プレモル)である。

 

 

 

長年赤字に苦しんできたサントリーのビール部門が反転攻勢のきっかけとなったこの商品。

 

勝因は、徹底した高級化路線にある。

 

市場に高級ビールの商品が少なかっため、未成熟の高級ビール市場でシェアをとることができた。キリンビールの、『キリンラガービール』、アサヒビールの『アサヒスーパードライ』という看板商品は、一般市場向け。高級ビールは、サッポロビールの『ヱビスビール』位しかなく、ライバルの数が少なかったのである。

では、なぜサントリーは、高級ビール市場に商品を供給しようとしたのであろうか。

 

もともと『モルツ』ブランドは、一般市場向けの商品で、『ザ・プレミアム・モルツ』はそれを衣替えしたものだ。

 

2強と一定の固定ファンのいる『サッポロ黒ラベル』(サッポロビール)に挟まれた苦しい立ち位置だったとはいえ、高級化路線への転換は、一見するとリスクでしかないようにも映る。

 

しかし、『ザ・プレミアム・モルツ』の勝算は、ビール系商品の推移を正しく見極めた戦略の勝利である。サントリーは、しっかり勝ちのイメージをもっての転換だったのだ。

 

長引く不況は、消費者の財布の紐を固くし、嗜好品であるビールはその価格を厳しく見極められる商品となった。売れ筋は、発泡酒、さらには第3のビールへとシフトする。

 

物語はそこで終わらない。消費者は、味も満足度も落ちる発泡酒、第3のビールを飲み続けるうちに、「たまには、本格的なおいしいビールを飲みたい。頻繁に飲まないのであれば、少々高くてもいい」という考えを募らせていく。

 

各メーカーが売れ筋商品を追求していくうちに、消費者が自分たちの内面に「高級ビールへの渇望つまり、市場ニーズを形成していたのである」

 

「たまに飲むビールは、おいしいく高級なものを!」

 

ここで、ポイントとなるのは、その受け皿が、『ラガービール』や『スーパードライ』になりにくかったことにある。

 

消費者が、わかりやすく「これは高級ビールである」と認知する仕掛けがこれら2つには欠けていた。

 

それは、「名前」「色」「イメージ」で、そして、期待を裏切らない味である。

 

 

プレモルは、名前に「プレミアム」という高級感を喚起させる名前をいれ、商品のテーマカラーは、「ゴールド」を採用。テレビCMでも、金が目立つように工夫した。さらに、徹底した営業戦略で、高級レストランでの採用に尽力している。

 

高級化路線へ舵を切る決断さえできれば、日本のメーカーの技術力をもってすれば、高級ビールとして差別化できるビールは、高すぎる壁とはなりにくい。

それは、『ザ・プレミアム・モルツ』の味をもってして証明されている。

 

そして、この相乗効果として、プレモルはブランド化にも成功した。ブランド化は、言い換えると高級イメージ化でもある。高額商品は、イメージを売る、夢を売ることでもある。 『シャネル』しかり、『グッチ』しかりである。

 

日本のビール市場に少なかった高級ビール市場。それを自ら開拓し、自らをブランド化するまでに牽引したプレモル。

 

キリンビールやアサヒビールなどの先発の勝者からプレモルがうまれなかったことは、マーケットのダイナミックさを感じる。

 

言い換えると、成功したビジネスモデルは、つねに破綻の危険に晒されているとも言える。

 

未来に確定していることは何もない。これはビジネスと厳しい掟でもある。

アカデミック!KWANSAI!

2014年03月13日 category:ゴルフモード・カルチャー

 アカデミック!KWANSAI!

 

Kyoto_20101116_E100G-Roll-13_28 / Lordcolus

 

科学分野において、関西地区は今も昔も先進地域でありつづけている。2012年、京都大学ips細胞研究所の山中伸弥教授のノーベル生理・医学賞の受賞が記憶に新しいが、日本で最初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹氏を生み出したのも京都大学で関西であった。

 

東京一極集中が進む日本で、奮闘する関西地域は科学分野において成果をあげつづけている

 

その成果の要因を探していくとき、ヒントとなりそうなのが山中教授の経歴である。同氏は、神戸大学医学部を卒業し、臨床医(整形外科)を目指すものの、方向転換し大阪市立大学の大学院へ進む。学位取得後は主に公募採用で研究拠点を確保していく。奈良先端科学技術大学院大学など同氏は自分の研究業績を原資にキャリアの階段を上っていったのである。

 

山中氏のような研究業績を上げうる優秀で意欲的な人材がいてもそれを活かす仕組みがないと研究者が育つことはない。ポイントとなるのは実力を正しく評価していく仕組みが整っているかどうかである。

 

その点において、関西地区にはそのような風土、文化あったということだ。 そのような土壌を育んでいるのは、間違いなく京都大学の存在だ。

 

 

CiRA (Center for iPS Cell Research and Application) 京都大学iPS細胞研究所 / Jun Seita

 

筆者が学生時代、ある研究室の先生は斬新で先端的な研究をされていた。今でこそ、未来を拓く技術として注目されている分野だが当時は、そこまで注目度は高くなかった。ところが、程なくその先生は京都大学へ転出された。研究内容が京都大学の関係者の目にとまったのだろう。

 

先進的な若い研究者に対する高い感度。それが京都大学のダイナミズムの源流だ。京都大学と縁がなかった山中教授が京都大学に招かれたのも同じ道程にあったことは言うまでもないだろう。

 

新しさに対する積極性という点では、他大学も負けてはいない。入学試験の大改革で入試の流れを変えた立命館大学、女子大で初めて法学部を開設した京都女子大学。大胆なキャンパス移転を成功させた関西大学が特筆される。 アカデミックな世界においての関西地区の取り組みは、これからも多様な価値観からいろんな創造的な成果をあげていくことだろう。

 

その底流には、徹底した実力主義や発想の豊かさを尊ぶ関西人の気質が大きく関係していることはまちがいなさそうである。

 

ニューヨーク、プラザホテル。歴史と名作の片鱗。

2014年01月17日 category:ゴルフモード・カルチャー

Plaza Hotel / Erik Daniel Drost

 

ニューヨーク五番街。セントラルパーク沿いに歩を南に進める。NY市民の憩い場を端を右に折れ、この通りを西に1ブロック歩くと、歴史の舞台にたどり着く。それが「プラザ・ホテル」である。

 

  1985年。中曽根内閣の大蔵大臣、竹下登氏はこの年の初秋、プラザホテルにいた。当時の先進5ヶ国(米、英、日、仏、西独)の蔵相・中央銀行総裁が集ったこの会議ためである。この場で、「ドルの救済を目的とする円高ドル安誘導」を承認。

 

これが、世界の金融の歴史を変えた転換点である「プラザ合意」である。

 

これは、基軸通貨として金の裏づけをなくしたニクソンショック以来の金融界の大事件となった。

 

「ドルは弱くしてもやむを得ない」

 

それを意味することを正しく理解できていた日本人はほとんどいなかったであろう。日本経済の混迷の口火を切った会議でもあった。

 

これを契機に日本は内需拡大政策に舵を切る。バブル時代の夜明けである。すでに低成長期に入っていた日本。有力な投資先がないなかでの内需拡大政策は、必然的に「土地神話」にすがりつくように不動産市場へ資金が流れ込んだ。成長を伴わない過剰な投機の行き着く未来は破綻でしかなかった。

 

この世界的な金融システムの微調整は、おおくの人の人生を変えたことであろう。それが、このホテルの部屋で決められたことが興味深い。

 

 

  1959年公開のアルフレッド・ヒッチコックの名作サスペンス『北北西に進路を取れ』(North by northwest)は、このホテルでロケが行われた。

 

あえてセットを組まなかったのは、ヒッチコックの意向とされる。主演のケーリー・グラント(『めぐり逢い』『シャレード』)は実際にプラザに滞在していた。   ヒッチコックがこのホテル内で描いたシーンは驚くほどシンプル。

 

ハリウッドから一団をなしてニューヨークまで来る必然性を感じさせない。しかし、実際にこのホテルで撮られた事が、画面の隅々までに臨場感を与えている。ロケであったことで、ホテル内での動きをもフィルムに焼き付けることができている。

 

サスペンスは動きである。セットで物語の動的な世界は再現できない。そんな細微なところにヒッチコックの狙いが垣間見える。冒頭で、架空のスパイを実在するスパイと誤解されるシーンは、当時のニューヨークの雰囲気をも今に伝える名シーンだ。

 

プラザ合意に関わった竹下氏も、ヒッチコックもケーリー・グラントも今はこの世にはない。当時の様子を知ることができる手がかりはこのホテルの醸し出す雰囲気だけ・・・。

 

そんな日もまもなくである。   歴史の舞台と名作の一翼を担った陰の主役は今日も、淡々と宿泊者をやさしく迎えている。

出雲大社、4つの鳥居とにぎわい。

2013年12月11日 category:ゴルフモード・カルチャー

おおむね60~70年に一度、遷宮を行う出雲大社。20年に一度の伊勢神宮の遷宮と2013年は奇しくも重なる年になった。

 

出雲5

 

出雲大社といえば、4つの鳥居が有名だ。石(鉄筋コンクリート)、木、鉄、銅とそれぞれ異なった素材でつくられている。

 

先にあげた鳥居の順に一の鳥居、二の鳥居、・・・と名づけられている。 参拝の順路を追って出雲大社の魅力を探ってみよう。

 

出雲2

 

鉄筋コンクリート製の一の鳥居。現在、出雲を訪れる人もここをくぐることは少なくなっている。かつての参拝者は、国鉄大社線利用することが多かった。1990年にJR大社線が廃止されると一の鳥居は、ここから参拝を始める場所から出雲大社のランドマークへと役割をかえている。

 

出2

 

二の鳥居は、事実上、現在の出雲大社の玄関口である。毎年10月に開催される出雲駅伝(出雲全日本大学選抜駅伝)もこの二の鳥居が出発点となっている。木製の二の鳥居。一の鳥居との間を神門(しんもん)通りと呼ばれ一番の賑わいをみせる。一畑電鉄の出雲大社駅もこの神門通りの中間付近にある。

 

出雲3

 

鉄製の三の鳥居を経ると、銅製の四の鳥居となる。金運向上のご利益があるといわれる。銅製の鳥居は珍しい。

 

二の鳥居まえを「勢溜(せいだまり)」と呼ぶが、そこが人々のにぎわうもっとも華やかなハレの空間である。参拝者の気分を高揚させる装置としてのハレの場。神前の舞台装置として重要な役割をもつ。 神社仏閣には、人のにぎわいは不可欠だ。

 

それは、にぎわいがもたらす高揚が、人々の再来を促し信仰への理解を深める狙いがあったのだろう。出雲大社の4つの鳥居もそれぞれの顔をもつことで、にぎわいを演出する重要な役割をになっている。

 

フェルマーの最終定理。難問らしからぬ結末。

2013年11月14日 category:ゴルフモード・カルチャー

フランス南西部最大の都市、トゥールーズ。世界的な航空機メーカー、エアバス社の本社があり、航空産業の拠点であるだけでなく、フランス屈指の名門大学、トゥールーズ大学の所在地でもある。

 

そんなアカデミズムに溢れたこの街から、街のイメージにふさわしい、歴史上の逸話が生み出されていたことをみなさんは、ご存知だろうか。

 

Toulouse Place de Capitole / Kathleen Tyler Conklin

 

数学界にけおけるその偉大な発見は、教育熱心な母親から育てられたひとりの法律家から提唱された。 その法則は、あまりにもシンプルで、中高生にでも解けそうな印象すら与える魅惑の整式。それが、フェルマーの最終定理である。

 

カルチャー11月ー1

1次式は、当然のこととして成立し、2次式ではピタゴラスの定理(三平方の定理)として成立することが広くしられている。

 

しかし、なぜか次数が3以上(3次以上)となると成立しなくなるこの不思議な関係式。この式が正しいのかを含め、歴史上の偉大な数学者が挑んでは跳ね返されてきた。リーマン予想、ポアンカレ予想などと並び、解決が困難とされてきた数学の超難問である。

 

ピエール・ド・フェルマーは、トゥールーズの裁判所に勤める裁判官で、純粋な「アマチュア」数学者だった。だが、その実績において彼に叶う「プロ」の数学者は数えるほどしかいない。

 

パスカルやデカルトとの交流を持ち、優れた実績として曲線の関数の最大値、最小値をもとめることの理論体系を構築した。

その功績は、ライプニッツやニュートンに引き継がれ、微分積分学へと発展した。

 

Alexandre Falguiere – Pierre de Fermat – Copie / Pierre-Selim

 

そんなフェルマーが「驚くべき証明を得た」と書き残したこのフェルマーの最終定理。歴史的には、数学界の巨星、レオンハルト・オイラーにおいても証明が不可能となったことが世に知られる契機となった。

 

オイラーは、このフェルマーの最終定理に挑む過程において、虚数の概念を確立。偉大な業績を遺しつつも、この定理の証明にはたどり着けなかった。 その後も、ガウス(ガウス記号)、コーシー(コーシー・シュワルツの不等式)、ヒルベルト(ヒルベルト関数)といった偉大な数学者の挑戦を跳ね除けてきた。

 

1994年、プリンストン大学(当時)のアンドリュー・ワイルズ教授は、この超難問に終止符を打った。発表された論文には、つぎのような一節がある。

 

カルチャー11

 

ここに記載された日本人こそがフェルマーの最終定理を証明する鍵を握った谷山豊(故人)、志村五郎(米プリンストン大学名誉教授)両氏である。ふたりが提唱した「谷山・志村予想(すべての楕円曲線はモジュラーである)」の証明こそが、フェルマーの最終定理を証明する根幹となった。

 

二人の日本人が提唱した考え方が正しいことが示された後、高校生の教科書に載っている「背理法」によってフェルマーの最終定理は証明された。 シンプルな整式の理論は、最終的には、シンプルな証明法によって3世紀にわたる数学者の戦いに決着をつけたのである。

式年遷宮、伊勢へのいざない。

2013年10月16日 category:ゴルフモード・カルチャー

    伊勢神宮内宮 / Kentaro Ohno  R0014206 / Ryosuke Yagi DSC_0083.JPG / imgdive  R0014107 / Ryosuke Yagi

 

式年遷宮、伊勢へのいざない。 今年、二十年に一度の遷宮を迎える伊勢神宮(三重県伊勢市)。新しい神殿へ神体を移す遷宮の儀式を経て、新たな歴史を刻み始めるこの十月。日本人の心のルーツともいえる伊勢。この秋は、三重へ足を向けてはいかがだろうか。

 

伊勢神宮は、二十年に一度、出雲大社(島根県出雲市)は六十年に一度、遷宮を行う。平成二十五年は、六十年ぶりにそれが重なった。 伊勢神宮は、豊受大御神(とようけおおみかみ)が祀られる外宮(げくう)と、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が祀られる内宮(ないくう)を中心に構成される周辺、百二十余の神社の総称である。

 

R0014207 / Ryosuke Yagi

 

伊勢の神社群に寄り添うように流れる五十鈴川のせせらぎを聞きならが、散策するとさまざまなインスピレーションが去来してくる。

 

伊勢の地は、人間の感情を小さく動かす力をもっているようだ。作家、松本清張は『砂の器』(新潮文庫)で、事件の重要な謎を解く鍵を読者に与え、宮部みゆきは『火車』(新潮文庫)で、姿の見えない真犯人(新城喬子)の過去を読者に与える。 日本を代表する新旧の名作家は、この重要な場面をどうしてもこの伊勢の地で描きたかったのだろう。

 

伊勢うどん / Kuruman

 

伊勢うどんは、伊勢に立ち寄ると是非食べたい一品だ。深川浄心寺(東京)の一本うどん程ではないものの、迫力の太いうどん麺に、黒いつゆがかかっている。塩辛い第一印象とは異なり、深い味わいで大人の味覚を満足させてくれる。

 

Ise Shrine_71 / ajari

 

伊勢での楽しみは、街歩きとセットだ。内宮鳥居前の、通称「おはらい町」での散策は、時間をかけてじっくりと楽しみたい。休息はもちろん、定番中の定番、赤福。程よい甘みが歩きつかれた身体に染み渡る。 伊勢は、心身のリズムを整える力をもっている。訪れて後悔することは、きっとないだろう。

サリバンとライト~建築学。教えの系譜、学びの系譜~

2013年09月12日 category:ゴルフモード・カルチャー

建築における設計者は、創造者である。

 

時に経済の影響を受け、時に自然科学の制約をうける建築物は、純粋な芸術性の追求を阻むものに囲まれている。

 

だからこそ、偉大な建築家は激しい情熱と技術への深い造詣を志向し、知識と知恵を駆使し自らのインスピレーションに導かれる世界を築く。

 

建築はそのようなプロセスを踏むものであるから、人のつながりをたどることができる。

 

「form follows function」(形態は機能に従う)の言葉を残したルイス・サリバンとサリバンと師弟関係にあったフランク・ロイド・ライト。二人の建築家の系譜もまた、同様である。

 

ルイス・サリバン

カナダとの国境を接する五大湖。そのエリー湖とオンタリオ湖に挟まれたニューヨーク州バッファロー。ここにルイス・サリバンの代表作、プルデンシャル(ギャランティ)ビル(1894年)は建つ。

 

Buffalo, NY / JasonParis

建物表面に細かく施された装飾こそ、時代を感じさせるが、全体から受ける印象は、「現代の新築ビルにも存在しそうなデザイン」である。

 

その印象こそが、彼の存在を現在まで留める名言、「形態は機能に従う」の真髄であろう。 このころ、技術革新で急速に低価格化した鉄の値段。

 

鉄の加工技術と並行するかたちで、誕生した鉄骨構造のビルが産声をあげる。高層化を実現させた画期的な建築方法の誕生。

 

サリバンは、その工法を熟知する一方で、高層ビルのデザインの収斂を自らの作品で予言した。 プルデンシャル(ギャランティ)ビルの形態(高層ビルのデザイン)は、機能(高層ビルの工法)に従っている。

 

直線系であれ、流線型であれ、高層ビルのデザインは、この形態を最小単位としてみることができる。どのビルも同じとまでは言わないが、少なくとも工学的、物理学的な逸脱はありえないといえるだろう。

 

フランク・ロイド・ライト

 

フランク・ロイド・ライトの名を世に知らしめる作品となったのは、落水荘(アメリカ・ペンシルバニア州)である。この作品が、個人の邸宅であることは、ライトのキャリアとの関係が深い。彼は、ルイス・サリバンの建築事務所に所属していたとき個人邸宅の設計を多く受け持っていた。

 

Fallingwater House – Frank Lloyd Wright (1937) / pablo.sanchez

ライトの師、サリバンが深化への志向という縦への動きを持っていたのに対して、彼は横への動きを見せる。その動きは、当時の建築界としては未開の地である日本へ赴き、帝国ホテル(現帝国ホテル・ライト館)の設計に関わっていたことが何よりの証左だ。

 

落水荘が象徴しているように、ライトの作品は周囲の調和、融合なくしてその魅力を語ることはできない。落水荘が見るもの全てを惹きつけ、圧倒されるのは建物が周囲の自然との一体化しているからだ。彼の視点は建物を離れて見ることを前提にしているかのようだ。

 

些細ないさかいでサリバンと袂を分かったライトだったが、デザインの収斂を意識した作品が目立つ。いくつかの共通項に分類できる彼の作品の特長は、サリバンの教えの系譜に沿ったものだともいえるのではないだろうか。

 

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赤と青に願いをこめて。アメリカ南部、鉄の結束。

2013年08月09日 category:ゴルフモード・カルチャー


2006-07-25 – Road Trip – Day 2 – United States – Ohio – Sign – The Lord is My Shepherd – Confederate Flag / C. G. P. Grey

 

ダルビッシュ有が所属するMLBテキサス・レンジャースは、その日に先発する投手がユニフォームのカラーを決める。

 

白はベースカラーであるから実質はメインカラーを赤にするか青にするかを選ぶ。シンシナティ・レッズの赤やシカゴ・カブスの青のようにチームカラーを一色に固定しないのは、このチームがテキサス州に本拠を置いているからだろう。

 

赤と青は、アメリカ南部にとって象徴的な色だからだ。 南北戦争が奴隷解放という視点から語られる限り、テキサス州をはじめ南部十一州はつねにヒール役だ。『風とともり去りぬ』(Gone With the Wind)でさえも批判の対象とされる。

 

南部が奴隷制度存続を唱えたのは、あくまで経済的な問題だからだという理屈はさすがに説得力がないが、今でも北部の視点で語られる南部文化に対する固定概念(howdyなどの南部言葉や南部訛りへの風刺)にはさすがに違和感を感じる。

 

しかし、これは南北戦争が内戦であったことの証左でもあるのだろう。 アメリカ南部を舞台にする映画は、そのような背景があるためか人種問題を扱う秀作が多い。

 

アカデミー賞作品賞に輝いた『ドライビングmissデイジー』(Driving Miss Daisy 1989年)はその代表例だろう。ユダヤ系老婦人デイジーとその運転手ホークとの友情を描いたこの作品は、南部でなければ成立しない物語だった。

 

 


 私たち日本人にとって、南部の色はやはり赤である。それは、南部を発祥とする企業への親しみから生じる。

 

コカ・コーラ社(ジョージア州アトランタ)の存在が大きく、ニュース専門チャンネルCNN(ジョージア州アトランタ)、テキサスインスツルメンツ(テキサス州ダラス)のコーポレートカラーも赤である。

 

その赤へのこだわりは、南部連合旗(Confederate flag)に由来することは明らかだ。

 

南部の強い団結力は、2度の大統領選挙でも発揮され劣勢を報じられていたブッシュ親子をホワイトハウスへと導く原動力にもなった。 肥沃で広大な大地とメキシコ湾岸の豊富な鉱産資源。南部のダイナミックな文化はその自然がもたらすものである事は言うまでもないだろう。

 

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ヒュー・グラント。英国テイストの魅力。

2013年07月11日 category:ゴルフモード・カルチャー

 

ヒュー・グラントとドリュー・バリモアのラブコメディー。もうひとりの主役が1980年代の音楽。

 

この頃、洋楽を聴いていた世代(40歳~50歳代)はより楽しめる構成となっている。

ヒュー・グラントは、優しすぎて、ちょっと頼りない男を演じさせると天才的な役者だが、今回もその期待をはずすことはない。

 

彼が演じるアレックスは、1980年代に活躍したバンドの元サイドボーカル。元スターでありながら、傲慢さの欠片もなく、プライドをかなぐり捨てたように、元スターの肩書きビジネス(同窓会や遊園地などでの営業興行)にいそしむ日々。

 

現実に流され、それに抗う元気も術もない様は、『ノッティングヒルの恋人(Notting Hill)』(1999年)のカッターに通じる。

 

一方、相手役のドリュー・バリモアは、普通でない役者にも関わらず「普通の女の子」を演じさせるとこちらも天才的だ。

 

『25年目のキス(Never Been Kissed)』(1999年)では、彼氏いない暦25年の女の子を違和感なく演じるすごさに度肝を抜かれたが、今回も言語感覚に才能の片鱗を見せるものの基本は普通の女の子、ソフィーを演じる。

 

個性的なキャラの姉とのシーンでのソフィーの存在感のなさ(オーラの消し方)は見事で、スーッと見るものを映画の世界に導いてくれる。 ラブソングができるまで

基本的には、オーソドックスな展開のラブコメディである。マーク・ローレンスのテンポのよい会話中心のシナリオ構成が秀逸で、 「センスのいい男女の会話を楽しみ」、「後半に向けての盛り上がりを楽しみ」、「後味のよいエンディングを楽しむ」というラブコメの王道を貫いた作品である。

 

扱っている内容が下世話な部分がありながら、上品な味わいをだしているのは、ここにポイントがあるように思う。 そんなこの映画のスパイスとして効いているのが、1980年代の音楽。

 

アレックスは、この時代に活躍したアイドル系バンド「PoP!」の元ボーカルの設定。冒頭に流れるワムやデュラン・デュランを彷彿とさせる、「PoP!」のチープな展開のPVが笑える。

 

若き日のアレックスの馬鹿っぽい髪型、振り付けを「まじめに演じる」ヒュー・グラントの役者魂に脱帽である。 たとえ彼の話すセリフがアメリカ英語であったとしても、ヒュー・グラントの口からでる言葉はどこか英国風だ。

 

彼がラブコメの主役でありつづけることができる理由のひとつがこの厳密な発音を重んじるイギリス英語の気品だろう。この上品な雰囲気を楽しむことも彼の出演する映画の魅力でもある。

 

ラブコメは、小さい世界で描くのがベストだ。そこに宿る広がらない世界によるリアリティが物語の基盤になるからだ。この小さい器に盛り込まれる物語の細微さが映画の価値を決めてしまう。

 

大掛かりなセットなど不要で、それゆえに多くの作品がつくられるラブコメだが、秀作が生まれる率は低い。その点で、この作品はこれからも多くの人に鑑賞されていく作品といえるだろう。

モノの値段の不思議。博多ラーメンの経済学

2013年05月23日 category:ゴルフモード・カルチャー

Hakata Kuro Ramen / TheGirlsNY

 

2013年4月。牛丼チェーン大手、吉野家を運営する吉野家ホールディングス(東京都北区)は、主力商品である牛丼並盛の価格を380円から280円に値下げした。

 

熾烈な競争と厳しい経営環境にある外食産業。そこに押し寄せる低価格化への圧力。デフレ日本の象徴的な風景で、アベノミクス効果で少しは和らぎつつあるとはいえ、依然としてこの傾向は、改善の兆しが見えてこない。

 

そんな、外食産業にあって不思議な価格の推移をしている分野がある。

 

ラーメンである。

 

今回は、「博多ラーメン」に着目し、モノの値段の不思議を探ってみたい。

 

ラーメン一杯700円。

 

東京在住の方なら、妥当な価格と感じるであろうが、博多ラーメンの地元、福岡市ではそうではない。

 

よほどのラーメン通の方でもない限り「700円は高い!」と感じるだろう。博多ラーメンの標準的な価格帯は、400~600円だからだ。

 

豚骨スープを使用する博多ラーメンは、他の素材を用いるラーメンよりも原価が低いとされる。しかし、安い価格設定をする要因は、ラーメンの食べ方にある。

 

ご存知の方も多いだろうが、博多ラーメンには「替え玉」というシステムがある。麺だけをお替りすることができるのだ。この追加の麺の価格がおおむね100円。店側は、ラーメン+替え玉をベースに客単価をはじいていると考えられ、そのためラーメンの麺の量は少なく、成人男性なら替え玉をしないと量的に満足できないようになっている。

 

それでも、替え玉込みでもワンコイン程度で満腹になる店も多く存在することでもある。 この博多ラーメンの「福岡価格」は、日本がデフレ経済に転落する以前から続くもので、庶民の味としての博多ラーメンは福岡の食文化に根付いている証明でもある。

 

ところが、この「福岡価格」が動き始めた。味に定評があり、マスコミに採り上げられることも多いA店は、ラーメン一杯750円、替え玉が150円になった。

 

この店のライバルと目されているB店(店主のTV出演も多い)は、替え玉こそ100円だが、ラーメンは700円で提供している。 この2店で食事をすれば、1人あたりラーメンに1000円に近い出費となる。

 

博多っ子は、ラーメンが大好きで有名店が値上げしても喜んでそれを受け入れる・・・というわけではない。

 

ラーメン好きを自認する人々のこの動きに対する評価はおおむね辛い。ラーメンのおいしさは認めつつも品質と価格のバランスが合っていないことがその理由だ。福岡価格を逸脱している以上、この2店は、庶民が頻繁に通う店ではなくなっている。

 

Hakata Ramen / mdid

 

では、この2店。なぜこのような戦略をとっているのだろうか。 この2店の店舗展開を見れば理由が見えてくる。博多のラーメン店でありながら、店の数は両店とも関東エリアの方が多いのだ。先ほど述べたとおり、東京でのラーメンの相場は、700円。

 

東京の店舗で提供している「東京価格」に沿って福岡の店の値段を変えたのだろう。 こうしてみると、2店の収益構造が見えてくる。この2店は、「関東でかなりもうかっている」のだろう。福岡での強気に見える高価格化路線は、そのような背景があるからだと考えられる。

 

関東で確実にもうけを出し、福岡では多少の客離れをおこしても高価格化で収益を補うという戦略である。さらに福岡を訪れる観光客が、足しげくこの2店に通っていることも追い風になっているのだろう。

 

低価格を求める地元民を切り捨て、高価格でも喜んでお金を出す人々へ向けて商品を提供する。これもビジネスのやり方である。もちろんそれに値する味を持っているという自負心があってのことだろう。

 

現在は、それがうまく機能しているようである。 モノの値段は、だれが決めるのか。それは、消費者が決めるのだ。やり方次第では高く値づけしても買う人は買うのだ。ただ、高価格化へシフトできる金脈は、そうたくさんあるわけではない。

 

ただ、探そうとすれば、案外身近にあるものだとこの2店の戦略は教えてくれる。 冷静にみるとこの2店の戦略はあぶない橋を渡っている面もあるし、サービス業の本筋を逸脱しているような気がしないでもない。ただ、ラーメン一杯にも小さな経済が潜んでることは、とても面白いといえる。あなたの生活も経済の一部だ。いつもより高くアンテナを張ってみよう。いろんな経済が見つかるはずである。

 

不断の進化。ジェームス三木の仕事。

2013年04月25日 category:ゴルフモード・カルチャー

 

NHK連続テレビ小説『澪つくし』(1985年)、大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)、『八代将軍吉宗』(1995年)や『弟』(2004年、テレビ朝日)など数多くの名作を手がけた脚本家、ジェームス三木。

 

俳優出身の経歴や、世間を騒がせた女性問題など人生の時々に大きい振幅をもつ異色の脚本家は、その経験を作品の高いクオリティへと収束させてきた。

 

2012年に手がけた『薄桜記』(NHK BSプレミアム)は、そんな同氏の魅力にあふれた作品となった。 もう十年以上前になるだろうか。新聞の片隅に載った小さな記事。その中で語られたジェームス三木の言葉が今も強く印象に残っている。

 

「物書きは、つねに人間に注目し、物事を外側から見るべきだ」・・・そんな趣旨の発言だった。

 

五味康祐原作の同名小説をドラマ化したこの『薄桜記』。主人公、丹下典膳(山本耕二)は、妻・千春(柴本幸)の名誉を守るため離縁を決断する。この離縁に逆上した千春の実兄によって、典膳は切りつけられ左腕を失ってしまう。

さらにこの一件を秘匿にするために、典善は旗本の身分すら失ってしまう

 

 

「出来事」は、それを受け止める人間によって見方が変わる。 旗本という身分と左腕を同時に失った主人公、そしてその周辺の人物ではこの一件の受け止め方が違う。

 

苛烈な現実を淡々と受け止める丹下典膳。そんな典善の姿に胸を痛め続ける千春。浪人となった甥(典善)を邪険に扱う伯父、真実を知り己の醜態に恥じ入る千春の兄・・・。

 

一つの出来事から広がる波紋、そしてその濃淡をジェームス三木は、見事に書き分ける。異なった立場を踏まえて語られるセリフ回しは、物語の全体像の把握を可能にし、苦境にあっても武士としての矜持を失わない典善の人物像を立体的に際立たせることに成功している。

 

堀部安兵衛(高橋和也)との友情、千春への情愛もからめ、ストーリーが一体化されて動いていく。 脚本は、全体的な流れがきちんとコントロールされていなければならない。

 

ドラマを見る側は時系列を自分でコントロールすることができない。であるから、物語全体の動きの制御力は脚本家に求められる重要な要素となる。

 

ジェームス三木の語る「外側から見つめる」は、現在でもこの脚本家の思想として根付いていることを証明している。 そして、立場を違えれば、その考え、行動も当然異なる。

 

登場人物一人ひとりの味わい深い台詞回しは、長塚京三(吉良上野介)、津川雅彦(堀部安兵衛の義父、堀江弥兵衛)、江守徹(紀伊国屋文左衛門)らの名演技と相まってより光を放っている。常に人に目を向け、人を人として描く姿勢。ジェームス三木の信念がこの脚本に浸み込んでいる。

 

欲を言えば、全11回は短すぎた。もっとじっくりと人物を描きこんだ脚本でこのドラマを見てみたかった。物語の大きさと同氏の力量を考えると11回の器はあまりに小さすぎたといえる。

 

完成度の高さ円熟味は、衰えどころか、さらなる凄みを増している。同氏の集大成となる作品は、この作品ではなく、必ず未来に存在すると信じる。

~電池~小さな箱の大きな問題。

2013年02月21日 category:ゴルフモード・カルチャー



All Nippon Airways JA813A Boeing 787-8 Dreamliner at SJC for Inaugural Flight to Tokyo/NRT / Jun Seita

それは、まるで足の裏に刺さった棘が象をひっくり返したようだった。

航空業界を変える夢の旅客機、ボーイング787。LCCの脅威にさらされはじめた大手航空会社にとってこの飛行機は、未来への希望だった。中型機であっても東京-ボストン間を飛ぶことができるほどに軽量化された機体。外壁に炭素繊維などの新素材を用いる他に、軽量化の切り札として注目されていたのが電気制御だった。しかし、この787がつまづいたのは、電気制御のトラブル。その最たる原因は電気を生み出す電池だった。

私達の日常に寄り添ってきた電池。この電気を生み出す小さな魔法の箱が、今問題として迫ってきている。

電圧の基本単位ボルト。その生みの親、アレッサンドロ・ボルタは今から200年ほど前、亜鉛と銅を電極として、はじめて電池をつくり出した。

electron(電子)の流れ。これが電気の正体である。移動する電子が、「電流」(電気エネルギー)としてさまざまな機器を動かす。電池は、電子の出し手である-極と電子の受け手である+極の各電極で、化学反応を起こし電子をやり取りしている。このような化学反応の組み合わせによって電池は構成されている。

電流は「水の流れ」のようなもので、「水の流れ」を蓄積することはできないと同様に、「電流」も蓄積することはできない。であるから、電池は電子を出し続け、電子を受け入れ続けるしかない。この電子のやりとりを可能にする電極(+、-極)が重要でその物質のベストミックスの発見こそが電池の進化の根源となっている。

であるから電池の進化は、+極と-極としてふさわしい電極に使える物質探しの歴史でもある。金属、金属酸化物、炭素・・・あらゆる素材の組み合わせや素材のそのものの研究開発。これは研究者、技術者の地道で気の遠くなるような忍耐に支えられているのである。

地道な作業ゆえ、電池の進化が「ゆっくり」であることは宿命でもある。

しかし、現代社会の急速な変化がこの「ゆっくり」の進化を待っていられなくなっている。


Li-ion-battery / Razor512

今回、787で使用された電池は、パソコンや携帯電話などに使われている電池と基本構造が同じリチウムイオン電池である。この電池は、高い電圧を出すことと化学反応の効率的な利用のメリットをもつ。しかし、その一方で短絡(ショート)や発火の問題も抱えている(私たちが日常生活で使う分においては、高い安全策が施されているため問題はない)。

そのため、急激な温度や圧力の変化に晒される航空機の制御をこのリチウムイオン電池に担わせること自体に無理があったのではないかという意見が出ている。

科学技術の進化のスピードは、時にゆっくりであったり、急速であったりする。今回の787のトラブルは、私の目から見ると「電池の限界」の見積もりの甘さが原因のように思う。飛行機の基本的な設計段階でリチウムイオン電池の限界をどのように評価していたのだろうかと疑問を感じるのである。

飛行機のつくり手が、「この技術(システム)を採用するにはどうしてもリチウムイオン電池が必要」という「願望」が前提にあり、それがリチウムイオン電池への評価を厳密にできなかったのではないかと思うのである。

私は、電池の進化は今後も「ゆっくり」であり続けると思っている。であるならば電池を使用する電気・電子機器は、その宿命を受け入れるべきであると思う。電池の限界を無視して高機能を謳っても何の意味もないからだ。

巨大な液晶画面を搭載し、莫大な電力消費を前提としたスマートフォンが使い方によっては、半日経たずにバッテリー切れを起こすのは、電池の視点からみれば「当たり前」なのである。電池の限界を前提として製品開発をすることが重要ではないのだろうか。

科学技術の進歩は、時としてハイテクな部分に目が行きがちである。しかし、ローテクとセットで見て初めて正しい評価ができるのである。そういう意味で電池の問題は、小さな大問題なのである。

松本清張「点と線」。生命力の源流。

2013年01月23日 category:ゴルフモード・カルチャー

松本清張没後20年にあたった2012年は、多くの作品がドラマ化された。そして、その多くが設定を現代風にアレンジしての製作であった。それは、時代を超える清張作品の「生命力」の証左でもある。清張作品の「生命力」の源流はどこにあるのか。清張の代表作『点と線』(文春文庫ほか)の舞台、福岡市東区香椎の地を通してそれをひも解く。

鹿児島本線で門司方面から行くと、博多につく三つ手前に香椎という小さな駅がある。この駅をおりて山の方に行くと、もとの官幣大社香椎宮、海の方に行くと博多湾を見わたす海岸に出る。 

小さいながらも駅ビルになった現在のJR香椎駅(福岡市東区)。裏手の住宅街を抜けると、藤田寛之プロの母校、福岡県立香椎高校はすぐである。駅前に広がる商店街。『点と線』が旅行雑誌『旅』(2012年休刊)に連載された昭和32年当時とは風景を異にするも、周辺地域の日々の生活を支える役割に変化はない。

松本清張は、駅前の果実店の店主に、××省の官僚、佐山憲一と料理屋の女中「お時」が、連れ立って海岸方向へ歩いていく姿の証言者としての役割を与える。さらに現在は、高架となった数百メートル横を並行して走る西鉄電車の乗客にも同様の証言者とさせている。香椎の海岸で情死体となって発見される、佐山とお時。物語の序盤の重要な場面展開である。

現在のJR香椎駅前の商店街。奥に西鉄電車(貝塚線)の高架が見える。


『点と線』といえば、東京駅13番線プラットフォームでのトリックである。「4分間の空白」は、事件の解明以上に読者に鮮烈な印象を与えた。東京駅13番線プラットフォームは、物語の冒頭、お時が目撃される「日常風景」として描かれる。そして物語は、このJR(物語では国鉄)と西鉄の2つの香椎駅付近の場面へと接続する。

この香椎の地でで松本清張は物語を動かす。捜査に当たった福岡県警の鳥飼刑事が感じた疑問を通じて、お時が殺害されたという事件性の流れを生みださせている。そして読者に再び東京駅13番線プラットフォームに目を移させる構成をとっている。

香椎での場面を間に挟むことで「日常風景」だった東京駅13番線プラットフォームの目撃は、何者かの介入の意図へと変化する。そして「アリバイトリックの舞台」へと昇華するのである。この巧みな構成によって展開される物語は、自然なリズムで作品の世界へ入ることを可能にしている。

佐山とお時の遺体が発見された香椎海岸。対岸は埋め立てられ人工島となっている。

清張作品の魅力は、構成力の高さにある。松本清張は、『点と線』の構成の基本ラインを「アリバイ崩し」に特化させている。それは、強く印象付けられる東京駅のアリバイトリックの「残像」を長く保つ為である。

清張作品に共通するこの高い構成力は、物語の構造解析を可能にする。そのため物語の構成を維持しながら、作品にしたいという映像作家たちの意欲を喚起させた。これまで多くの清張作品が映像化されたことは、そこに理由がある。そしてその理由は、現在の映像作家にも引き継がれている。設定を現代に移植し、私達を楽しませてくれる原動力は、清張作品の高い構成力にあると言える。

こころに響く地方都市の風景

2012年11月21日 category:ゴルフモード・カルチャー


こころに届く景色は地方にある。それはなぜなのだろうか?そんな問いかけをした秋である。

今年の秋は、映画関係者の地力を見せつけた秀作が実った。代表例は、高倉健主演、降旗康男監督の『あなたへ』(東宝配給)だろう。スクリーンに写り込む富山、岐阜、平戸(長崎県)などの地方都市の風景。その背景に立ち、言葉を紡ぐ地方に生きる登場人物の声は俳優の身体を通して、見るものの心の奥まで響き込む。地方都市の風景は、そんな浸透力をまだ保ちつづけているのではないか。今回は、そんなことを探ってみたくなった。

「第3のエコカーを選びませんか」。ダイハツ工業(大阪府池田市)が手がけるテレビCM。印象に残っている方も多いだろう。吉岡秀隆、中越典子が演じる若い夫婦が都会暮らしを捨て日本のある島に戻り、家業の造り醤油店のあとを継ぐ。そんなストーリー仕立てのCMである。地方暮らしの足として欠かせぬ車の存在をアピールする一方で、病に倒れた父や若夫婦を温かく見守る人々の姿が島の風景とともに切り取られる。

断片的にインサートされる若夫婦とその周辺の人々との会話。その尺はわずか数秒である。しかし、見るものにとっての時間は数秒ではない。なぜなら、見るものは、脳裏に物語の続きを勝手につくり出しているからである。そして、その物語は、見るものの歴史の断片からつくり出される。そのとき、ゆっくり、そして静かに「人の温かさを思い出すこころのスイッチ」が入るのである。

このCMが「どこか懐かしい」と感じるのは、その映像を通じて喚起されるこころの動きであり、地方都市の風景は、見るもののにそのこころの動きを容易にさせているのではないだろうか。たとえ都会に生まれ、育ったとしても一定の年齢以上の日本人には、人の温かさの記憶が残っている。地方の風景は、その記憶を手繰り寄せる呼び水として作用している。だからこそ、だれが見ても地方の風景から紡ぎだされる秀作の物語は懐かしいのである。

高倉健の『あなたへ』に続き、吉永小百合主演の『北のカナリアたち』(東映配給)が公開された。北海道の北端の離島の物語。地方の風景に重なる名優の演技。今年の秋は、そんな秀作映画を味わうことができる機会に恵まれたことを嬉しく思う。

スマートフォンは、全ての人に微笑まない。

2012年10月24日 category:ゴルフモード・カルチャー



iPhone – 2011.4.6 (51/365) / loveloveshine

昼下がりの午後、比較的空いている地下鉄の車内。
降りる駅のちょっと手前で、若いサラリーマン風の男性が電車に乗ってきた。きちんとした身なりをしてるので、どこかの会社に所属しているのだろう。
彼は、私の正面の席に座るや否やスマートフォンを取り出し、真剣な表情で画面を凝視し始めた。会議の資料でも確認しているのだろうか、いや商談先からのメールチェックかもしれない。私は、手持ち無沙汰もあって、いろいろ空想してみた。バリバリのビジネスタイムである。仕事に関することをしていると考えるのが自然である。私自身も彼が乗ってくる直前まで、仕事のメールを返信していたのである。

すると、男性は人差し指を下から上に跳ね上げた。

「コイツもか!いい加減にしろ!」
私は、この動作をする若いサラリーマンを見ると、怒りのボルテージが上がるのである。

私は、断言する。スマートフォンを持つ若者がこの動作をしているときに、見ているインターネットのページは、ほぼひとつだ。

「Twitter(ツイッター)である」

予想通り、私が車内をでるときにチラッと見た彼のページは、Twitter(ツイッター)だった。
よほどの特殊な仕事をしているのではない限り、Twitter(ツイッター)のチェックはビジネスタイムに必要はないだろう。

スマートフォンは携帯電話ではない。インターネットに常時アクセスできる情報端末である。この「常時アクセスできる」ということが曲者なのである。なぜなら、私自身が今よりはるか昔にそれに懲りたからである。

私は、今から7~8年前、シャープ製の電子手帳を持っていた。「Zaurus」である。
ワードやエクセルの閲覧、編集も便利だったが、何よりも便利だったのが、「パソコンと同じようにインターネットができる」ことだった。初めは仕事に関するWEBチェックに使えるから便利だと思っていたが、段々使い方の公私混同が激しくなってきた。最盛期は暇さえあればネット接続という毎日。そんな状況だったので、さすがに仕事への悪影響に気がついた。「そもそも外出先でのネット接続は自分の仕事にとって絶対条件なのか」と自問した結果、私はこの情報端末を手放したのである。

先ほどのTwitter(ツイッター)をしている若者への怒りは、昔の自分への怒りなのである。

スマートフォンの爆発的普及で、私たちは今インターネットの常時接続が可能という時代に生きている。大変便利な時代であるが、一方でそれは、ある意味危険なことでもある。なぜならば、仕事に関係ないサイトの閲覧という時間を浪費するツールを常時携帯していることでもあるからだ。道具に罪はない。問われるのは使う人間の情報端末への向き合い方である。
スマートフォン時代に身に着けておくべきことは、自分の仕事の状況に合わせて情報端末を使いこなす智恵であり、結局は自分の仕事に必要な道具をきちんと管理するということである。情報端末もその一つと考えなければならない。ただ、コイツが優れもので、魅力的であることが大問題でもあるのだが・・・。

高村光太郎、明治に生きたフェミニスト

2012年07月30日 category:ゴルフモード・カルチャー



Couple / hildgrim

「銅とスズとの合金が立ってゐる。どんな造型が行はれようと無機質の図形にはちがひない。(中略)いさぎよい非情の金属が青くさびて地上に割れてくづれるまでこの原始林の圧力に堪えて立つなら幾千年でも黙って立ってろ」

十和田湖を最も美しく見ることができるとされる休屋。ここから湖畔を見つめる一対の裸婦のブロンズ像。詩人として、彫刻家として名を馳せた高村光太郎の遺作となった『乙女の像』がこの地に立って60数年になる。昭和28年秋に完成し、高村光太郎は翌29年、雑誌『婦人公論』に冒頭の詩「十和田湖畔の裸像に与う」を寄稿した。

生死を繰り返し、永遠の再生を繰り返す雄大な十和田の大自然。その傍に立つ、人工的な自らの像。高村光太郎自身も、物質である乙女の像も「限りのある、一度きりの命」。自分の亡き後も「乙女」達に命が尽きるまでこの地に立ち続けてほしいと願ったこの詩。激しく綴る言葉とは裏腹に「乙女」達への温かみが感じられる不思議な詩である。

高村光太郎は、上野公園の『西郷隆盛像』を製作した高村光雲の長男として生まれた。偉大な父への反発と明治という文明開化の潮流。そして、妻、長沼智惠子との出会いは高村光太郎に独特の女性への視点を持たせることになる。仏師から身を起こし、勇ましさ、猛々しさを見るものに感じさせる光雲の作品に対して、裸婦像を中心とした光太郎の作品は、繊細で女性への感性が現代的だ。

実際に見る「乙女の像」は、広く張っている肩、大地を踏みしめるような力強い足のラインが目を引く。大自然に負けないような人間としての強さ。それは、生命の再生を果たす「乙女」の姿であり、社会が作り出した「か弱い存在の乙女」とは一線を画する。智惠子の晩年を見続けた高村光太郎の女性への視線は、男としての度量の広さを感じる。『智恵子抄』へまで昇華させた高村光太郎の女性観はフェミニストのそれに他ならないと言えるのだろう。

直木賞~歴史と権威ゆえのドラマ~

2012年07月09日 category:ゴルフモード・カルチャー



1月、7月は芥川賞・直木賞のシーズンである。芥川賞は純文学、直木賞は大衆文学を対象として「無名若しくは新進作家」の発掘を目的として創設された。ただ直木賞は近年、一定の実績をあげた中堅作家に与えられるようになっており、そのため候補を複数回繰り返して受賞というケースが大半となっている。前回(第146回)受賞の葉室麟もその例に漏れない。よって初めての候補選出で受賞するというケースはほとんどなく、第114回の受賞者となった小池真理子は稀有の例となっている。

大衆小説を対象としている文学賞だけに過去には、青島幸男(第85回)、邱永漢(第34回)、つかこうへい(第86回)、向田邦子(第83回)、佐木隆三(第74回)、なかにし礼(第122回)といった意外な受賞者も名を連ねている。

既存の小説分野、特に恋愛小説、時代小説、人情小説が受賞する傾向があり、そのためコアな文芸ファン以外になじみのない作家が突然受賞するという回も少なくない。一方で、読者に高い人気のあるミステリー作品の受賞のハードルは高い。好例は、横山秀夫『半落ち』の落選。小説がフィクションであるならば、言いがかりともいえる理由で落選し、さらに選考委員がミステリー業界を批判したこともあり騒動となった。横山はこれを機に直木賞から絶縁した。宮部みゆきの名作『火車』も落選し、東野圭吾は『容疑者Xの献身』で受賞(第131回)するまで5度も落選した。SFやファンタジーに至ってはほとんど受賞できていない。森見登美彦や万城目学といった才能豊かなこの分野の若手作家が今後受賞できるか不安視されている。

権威のある賞ゆえに、作家に与える影響も無視できない。先ほどあげた傾向があるが故に作風を変える作家も出現する。名前は挙げられないが受賞者や候補者に複数そのような作家が散見される。一方で直木賞と一線を画する作家も存在する。山本周五郎は受賞を辞退し(第17回)、伊坂幸太郎も執筆専念を理由に辞退している。

小説が人間を扱うものであるから、人間界で起こることは小説界でも必ず起こる。直木賞という権威のある文学賞の存在は、それに関わる人間にドラマを生み出させる。それは時として、小説よりもエキサイティングだ。近年、直木賞への注目度は下がり続けているが、それは、受賞者や受賞作品の世間に訴える力が弱まっているからだろう。
7月、また新しい直木賞受賞者が誕生する。世間の衆目を集める力を持つ作家に受賞してほしいものである(文中敬称略)。

金環日食で注目!月はどこから来たのだろうか

2012年06月11日 category:ゴルフモード・カルチャー



The Earth and it’s only Moon / BlatantWorld.com

5月21日。あなたは、空を見上げていただろうか?
日本中が金環日食に沸いたこの日、改めて月に想いを馳せた方も多かったであろう。ただ、普段の私たちは、その存在があまりに身近であるがゆえに、この天体について正しく理解しようとしているとはいい難い。この機会に、生物誕生に関わり、いのちを支える重要な役割を演じているこの星についての知見を広げておこう。

月の存在の重要性は、その生い立ちにまで遡る。誕生まもないころの地球は、火の玉と呼ぶにふさわしいマグマの塊であった。その地球に宇宙からの飛来物が衝突する。飛来した火星ほどの大きさの超巨大天体は地球と「こするように」衝突。もし正面衝突であったなら、地球は消滅していたことだろう。こすって衝突したことで、マグマが地球の周囲に飛散した。この飛散物が集まり、月は誕生したのである。そしてその大きさが地球に奇跡をもたらした。

月は、一定の質量をもつほど大きい天体だったことで、地球と月の間には、引力が生じた。引力の存在は、23.4°傾いた地球の地軸を安定的に支えることになる。この地軸の安定は、地球を「水を保ち続けることができる星」にしたのである。そして水の存在は、原始生物の誕生へと導いていく。
地球と同じく水が存在したとされる火星は、安定しない地軸のために水が消滅してしまった。地軸の安定は、それほど重要で、現在も気候の安定という形で私たちのいのちを支えている。

奇跡の重なりで生まれたひとつひとつの命。その誕生は月の存在なくしては、ありえなかったという事実は、人間を少し謙虚にさせてくれる。私欲にまみれた日常を見つめなおすきっかけにしたいものである。

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