ゴルフをもっと「楽しく」「面白く」!

フェルマーの最終定理。難問らしからぬ結末。

2013年11月14日 category:ゴルフモード・カルチャー

フランス南西部最大の都市、トゥールーズ。世界的な航空機メーカー、エアバス社の本社があり、航空産業の拠点であるだけでなく、フランス屈指の名門大学、トゥールーズ大学の所在地でもある。

 

そんなアカデミズムに溢れたこの街から、街のイメージにふさわしい、歴史上の逸話が生み出されていたことをみなさんは、ご存知だろうか。

 

Toulouse Place de Capitole / Kathleen Tyler Conklin

 

数学界にけおけるその偉大な発見は、教育熱心な母親から育てられたひとりの法律家から提唱された。 その法則は、あまりにもシンプルで、中高生にでも解けそうな印象すら与える魅惑の整式。それが、フェルマーの最終定理である。

 

カルチャー11月ー1

1次式は、当然のこととして成立し、2次式ではピタゴラスの定理(三平方の定理)として成立することが広くしられている。

 

しかし、なぜか次数が3以上(3次以上)となると成立しなくなるこの不思議な関係式。この式が正しいのかを含め、歴史上の偉大な数学者が挑んでは跳ね返されてきた。リーマン予想、ポアンカレ予想などと並び、解決が困難とされてきた数学の超難問である。

 

ピエール・ド・フェルマーは、トゥールーズの裁判所に勤める裁判官で、純粋な「アマチュア」数学者だった。だが、その実績において彼に叶う「プロ」の数学者は数えるほどしかいない。

 

パスカルやデカルトとの交流を持ち、優れた実績として曲線の関数の最大値、最小値をもとめることの理論体系を構築した。

その功績は、ライプニッツやニュートンに引き継がれ、微分積分学へと発展した。

 

Alexandre Falguiere – Pierre de Fermat – Copie / Pierre-Selim

 

そんなフェルマーが「驚くべき証明を得た」と書き残したこのフェルマーの最終定理。歴史的には、数学界の巨星、レオンハルト・オイラーにおいても証明が不可能となったことが世に知られる契機となった。

 

オイラーは、このフェルマーの最終定理に挑む過程において、虚数の概念を確立。偉大な業績を遺しつつも、この定理の証明にはたどり着けなかった。 その後も、ガウス(ガウス記号)、コーシー(コーシー・シュワルツの不等式)、ヒルベルト(ヒルベルト関数)といった偉大な数学者の挑戦を跳ね除けてきた。

 

1994年、プリンストン大学(当時)のアンドリュー・ワイルズ教授は、この超難問に終止符を打った。発表された論文には、つぎのような一節がある。

 

カルチャー11

 

ここに記載された日本人こそがフェルマーの最終定理を証明する鍵を握った谷山豊(故人)、志村五郎(米プリンストン大学名誉教授)両氏である。ふたりが提唱した「谷山・志村予想(すべての楕円曲線はモジュラーである)」の証明こそが、フェルマーの最終定理を証明する根幹となった。

 

二人の日本人が提唱した考え方が正しいことが示された後、高校生の教科書に載っている「背理法」によってフェルマーの最終定理は証明された。 シンプルな整式の理論は、最終的には、シンプルな証明法によって3世紀にわたる数学者の戦いに決着をつけたのである。

ページ上部へ