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Category: ゴルフモード・カルチャー

辰野金吾を探して・・・

2012年05月14日 category:ゴルフモード・カルチャー



shibainu

東京駅駅舎、日本銀行本店・・・
 辰野金吾(1854年~1919年)のことを知らなくても、彼が手がけた建築物をしらない人はいないだろう。辰野金吾という建築家はそういう人物である。

1854年、現在の佐賀県唐津市で生まれた辰野は、1873年、工部大学校(現東京大学工学部)に一期生として入学。当初は造船科を志望していたが、建築科に進む。辰野が学んだ当時、工部省は工部大学校に工部美術学校を付属させていた。西洋美術を学ばせる工部省の方針は、建築科の学生にも強いデザインへの意識を生んだ。

辰野は、三菱一号館(現三菱一号館美術館※)を手がけたJ・コンドルの教えを受け、その後ロンドンに留学。赤煉瓦に白の花崗岩を組み合わせた意匠は、辰野式と呼ばれ東京駅、旧日本生命九州支店 で採用され、日本の明治建築の代名詞となった。日本銀行京都支店(京都文化博物館別館)など多くが、当初の役割を終えているが、奈良ホテルは現役としてその姿を残している。

100年の時を経てもなお、辰野作品はその圧倒的な存在感で、私たちに何かを訴えてくる。それは、辰野の建築家として結晶化させた思想が、技術やデザインといった目に見える部分を通して私たちに伝わるのではないか。優れた建築家は自らの名より、作品に己の存在感を残す。そういう意味で辰野は傑出した建築家であったといえる。※レプリカ再建

18年の時を超えて・・・復活!「MASTERキートン」

2012年04月18日 category:ゴルフモード・カルチャー


『YAWARA!』『20世紀少年』など名作を出した日本の漫画界の巨星、浦沢直樹。
なかでも傑出の作品となったのが、『MONSTER』(1994年~2001年)。東西統一前後のドイツ、チェコスロバキア(当時)を舞台に苛烈な環境下で育ち、「狂気の殺人者となった少年」の過去と現在を、少年を追う日本人医師からの視点で描いたこの作品は、手塚治虫文化賞を受賞。漫画界に輝く金字塔となった。

浦沢作品の系譜の中で、この『MONSTER』の前段に位置する作品がある。それが『MASTERキートン』(1988年~1994年)である。主人公、平賀=キートン・太一はロイズ保険組合の調査員(オプ)として、世界各地を飛び回り、依頼を受けた内容の調査、探索を行う。その過程で描かれた物語のほぼすべてが短編として収められている。「アザミの紋章」(スコットランドの歴史)、「穏やかな死」(北アイルランド紛争)、「シャトー・ラジョンシュ1944」(第二次世界大戦下の南フランス)など読み手の世界観を広げ、アカデミックな知識をもつことによって手に出来るエンターテインメントが存在することを多くの読者に知らしめた。

連載終了から18年・・・。今春、ビックコミックオリジナルにおいて、前作から20年後という設定で、『MASTERキートン Reマスター』の連載が開始(不定期連載、次回は5月)された。老眼鏡をかけて書物を読む主人公。52歳となった浦沢は、自身の身体の感覚を活かし、この年齢となった作者しか描けない新たな世界観を私たちに見せてくれることだろう。(文中敬称略)

スヌーピーの生みの親、C・シュルツとゴルフ

2012年04月11日 category:ゴルフモード・カルチャー

主人公、チャーリー・ブラウンやその愛犬スヌーピーが活躍する漫画「Peanuts(ピーナッツ)」。世界中で愛され続けるこの漫画の作者、チャールズ・M・シュルツが亡くなって12年になる。

大のゴルフ愛好家として知られたシュルツ。少年時代まで過ごした中西部ミネソタ州セントポールの生家は裕福ではなかったが、シュルツ自身は幼い頃からゴルフに親しんで育った。

市営のゴルフ場でキャディのアルバイトをしていたころの同僚の名前がシュローダー。ピーナッツのキャラクターにその名を残している(おもちゃのピアノを弾いている男の子)。シュルツが初めて買ったゴルフクラブは、ブラッシー(2番ウッド)で、2ドル5セントだったという。シュルツは「他のクラブは3ドル以上したから買えなかった」と述べている。当時からブラッシーは必要性に疑問を持たれていたのか、中古でも値段が安かったのが興味深い。シュルツがはじめて買ったクラブセットはウイルソンが発売していた「サム・スエード」。値段は100ドルだったという。

意外にもシュルツはピーナッツではあまりゴルフを取り上げていない。大好きなものだからこそ、ゴルフはプライベートなものとして大切にしていたのかもしれない。

YMOがうまれた、1970年代後半の時代

2012年04月11日 category:ゴルフモード・カルチャー


YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)といえば、やはり「赤」である。
多くの人がYMOのアルバムのジャケットとして思い浮かべる赤い人民服姿の「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」の発表が1979年。坂本龍一作曲の「TECHNOPOLIS(テクノポリス)」、高橋幸宏作曲の「RYDEEN(ライディーン)」が並び立ったアルバムである。

YMOは前年に発表したデビューアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」で中国とゆかりのある曲を2作品発表している。坂本龍一作曲の「東風(TONG POO )」、高橋幸宏作曲の「中国女(LA FEMME CHINOISE )」。いずれもタイトルはジャン=リュック・ゴダール監督の作品から採られている(作品内容と楽曲は関係がない)。ゴダールは共産主義者として知られており、ベトナム戦争のサイゴン陥落が1975年、毛沢東の没年が1976年である。

1970年代後半は、共産主義という考えそのものが若く、エネルギーを持ち、その将来に可能性を感じた若者に影響を持った時代だったのだろう。YMOの3人が、最新の音響機器だけでなく、時代の空気も作品に取り込んでいたことが興味深い。YMOの作品を見るとアーティストは時代とともに歩み、時代を超越する作品を生み出すものだと痛感させられるのである。

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